蚕種冷蔵風穴の元祖       

蚕種冷蔵風穴について


■前田家風穴 (産業文化遺産)

 
前田家風穴 

 古くから前田家には、敷地裏山に風穴とよばれる冷風がでる場所がありました。諸説がありますが、幕末期から明治期にかけての当主前田喜三郎氏により、蚕種(蚕の卵)が冷蔵後も孵化が可能である事が発見されました。
 この事は、蚕種販売、養蚕業界にとって大変な発見でした。本来、蚕は春蚕(はるご)とよばれる年に1回だけ春に孵化するものでした。優良な蚕と秋に孵化するあまり品質が良好でない秋蚕(あきご)の二過性を有するものでした。そこで春蚕の蚕種の孵化時期をずらすことで、餌となる桑の葉の繁茂する夏以降、あるいは農閑期となる秋に飼育をすることができるようになり、優良な蚕が地域によっては、年3〜5回の飼育が可能になったのです。
 明治維新後の社会情勢は殖産興業、外貨獲得政策として政府が養蚕業を推奨していた時代で、風穴種蚕種の発見により蚕種の生産輸出が飛躍的に伸びるきっかけとなり、やがて国内において製糸業の発展に伴い、優良な生糸の大量生産が可能となり、日本の製糸業が世界一の生産量を誇るまでに至り、まさに近代国家への礎となる輸出産業が興ったのでした。
 風穴を利用した蚕種冷蔵業は、日本各地に普及し明治末期には全国で250ケ所あまりの風穴が登録されるほどになりました。近年、世界遺産となった群馬県富岡製糸場と絹産業遺産群を構成する国指定史跡荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡は、明治末期にこの前田家風穴を参考に建設されたと言われています。このことは埼玉県美里町の秋蚕の碑の尾高惇忠の碑文にも記されています。

前田家風穴
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